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久兼

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年9月29日更新

久兼

 久兼は、昔この地に銅鉱が産出し、集落があって久しく繁栄したので「久金」といい、やがて「久兼」の字を書くようになったといわれています。(地下上申)

 また、大内氏の氏族鷲頭近江守は江州(滋賀県)の日坂の領主であったが、大内氏に招かれて当地にお住みになったことから、地名を日坂根と唱え、いつの頃か「久兼」の字を用いるようになったといわれています。(防長風土注進案)

 中世の名田に起こる地名であろう。(地名淵鑑)

『小野の伝説と昔ばなし』小野郷土史会 より抜粋

久兼の写真です

小字の地名の由来

大河畑(おおかわばた)

大河である佐波川べりの畑。

山根(やまね)

山のすぐ側の意。

尾叩(おたたき)

ここは山の尾が多く深山にて猪木も多かった。

「尾多々木」から「尾たたき」になった。

深山口(ふかやまぐち)

深山への入口に当る。久兼は現在でいう奥地から開けてきたので、佐波川へ進む方向が奥地となり深山となる。

滝の本(たきのもと)

ここに小さな滝があり、その下に人家ができていった。

西河内(にしこうち)

西方の住居地

土井(どい)

大内公の時代、鷲頭近江の屋敷があったので土居というようになった。

大崩(おおくずれ)

ここに大きな崩れがあった。

『ふるさと小野 第5号 ー地名の由来と著名な人物ー』 小野郷土史会より抜粋