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山頭火ふるさと館が10月7日にオープンします。

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年4月10日更新

山頭火ふるさと館、平成29年10月7日開館

防府市出身の自由律俳句の代表的俳人である、種田山頭火を顕彰する「山頭火ふるさと館」が、平成29年10月7日(土曜日)に開館します。

山頭火

開館日の日程等

  ・10月7日(土曜日)

    午前10時 記念式典

    午後2時 開館

     ※開館日は式典等のため、周辺の駐車場が使えません。公共交通機関をご利用ください。

     ※平成29年10月7日(土曜日)~10月9日(月曜日・祝日)の三日間は、観覧料は無料です。

  ・開館特別企画展

    「山頭火の句 名筆特選 ~百年目のふるさと~」

    平成29年10月7日(土曜日)~平成30年1月8日(月曜日・祝日)

開館特別展チラシ [PDFファイル/3.56MB]

山頭火ふるさと館施設パンフレット [PDFファイル/2.89MB]

施設概要

  • 所在地  防府市宮市町5番13号(まちの駅「うめてらす」から西に約100メートル)
  • 竣工  平成29年3月
  • 開館  平成29年10月7日土曜日(予定)
  • 構造  木造・鉄筋コンクリート造併用、一部二階建て
  • 敷地面積  996.17平方メートル
  • 延床面積  589.31平方メートル

ご利用案内

  • 開館時間  午前10時から午後6時まで(展示室への入室は、午後5時30分まで)
  • 休館日  毎週火曜日(祝日の場合は翌日)、年末(12月26日から12月31日まで)
  • 展示室の観覧料  大人300円(20人以上の団体200円)、小学生・中学生・高校生150円(団体100円)

施設案内

 山頭火ふるさと館案内図

(1)ふるさと展示交流室

ふる

(2)授乳室

授乳室

(3)インフォメーション、ミュージアムショップ

インフォメーション、ミュージアムショップ

(4)多目的トイレ

多目的トイレ

(5)防府ゆかりの文芸家たち

防府ゆかりの文芸家たち

(6)遺構

遺構

(7)導入展示

導入展示

(8)常設展示室(ケース内の資料の展示は施設の乾燥後になります。)

常設展示室

(9)特別展示室(実際の展示は写真と異なる場合があります。)

特別

展示資料の紹介

展示予定資料の一部をご紹介します。

種田酒造場  徳利

山頭火の家族が、現・防府市である大道村の酒場を買い取り、経営していた頃、お酒を入れて販売していた徳利です。一方の側面に、酒造場のあった「旦浦(だんうら)」という地名が、もう一方の側面には「種田酒場」と刻み込まれています。この酒場を運営していた頃、山頭火は妻や息子達と暮らしており、家族と過ごした穏かな日々が偲ばれます。

(常設展示)

種田酒造場徳利

七句集(ななくしゅう)

山頭火が行乞流転の旅を終え、昭和7(1932)年、一旦山口県小郡町(現・山口市)に定住する直前から、昭和15(1940)年に愛媛県松山市で亡くなる直前まで発表し続けた七つの句集です。大正15(1926)年、熊本から行乞流転の旅に出た頃の句から、最晩年にかけて詠まれた句が収められています。山頭火の句が、今日に至るまで数多く残されているのは、この七つの句集があったからです。

(常設展示)

七句集

短冊「分け入つても分け入つても青い山」

この句は、大正15(1926)年に山頭火が旅に出て、熊本から宮崎県高千穂へ山中を進んでいる頃に詠んだ句といわれています。このあたりは、山の奥深い地域で、その風景と山頭火自身の惑いの多い心境を重ね合わせた句と思われます。数ある山頭火の句の中でも代表的な句であり、学校の教科書等にも掲載されています。

(企画展で展示予定)

短冊「分け入っても分け入っても青い山」

短冊(額縁装)「ふるさとは遠くして木の芽」

昭和7(1932)年、長崎県を旅している頃、家族や自分の半生の夢を見て、その数日後、遠く離れたふるさとを思い詠んだ句です。山頭火は、この句を詠んだ後、ほどなくしてから、ふるさと防府のある山口県へ向い、防府に程近い小郡に定住しています。山頭火は生涯およそ150句のふるさとの句を詠んだといわれており、ふるさとを思う心が強かったことが分かります。

(企画展で展示予定)

短冊(額縁装)「ふるさとは遠くして木の芽」

扇子「うれしいこともかなしいことも草しける」

山頭火が愛媛県松山市に一草庵(いっそうあん)を結庵した頃、近隣にある護国神社よりお祭りの時に奉納された酒を分けてもらっていたそうです。そのお礼として、神社の宮司へ送ったのが、この扇子といわれています。句は昭和9(1934)年7月頃、小郡の其中庵にいる頃に詠まれたものです。山頭火は、庵の庭に広がる雜草の広がる風景を愛しており、この句もその雜草風景を見ながら詠んだものと思われます。

(企画展で展示予定)

扇子「うれしいこともかなしいことも草しける」

掛軸「もりもりもりあかる雲へあゆむ」

 山頭火は、自由律俳句雑誌『層雲(そううん)』に投稿し、俳句の腕を高めていたのですが、この句は、昭和15(1940)年11月、山頭火が死の直前に投稿し、死後掲載された最後の句であるため、辞世の句と解釈する人もいます。もりもりと盛り上がって行く雲へむかって歩いて行く様を詠んだ、壮大な句となっています。

(企画展で展示予定)

掛軸「もりもりもりあかる雲へあゆむ」

 俳句雑誌『層雲』昭和16年2月号

 この雑誌は、山頭火の師である荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)という俳人が主宰していた自由律俳句の雑誌です。自由律俳句は山頭火が青年の頃に誕生した新しい俳句で、山頭火はこの雑誌を通じて、俳句の腕を高めていきました。今日においても広く親しまれており、全国的な俳句大会も開催されています。本の内容は、山頭火の死後、四回に渡って掲載された追悼集の一つであり、友人達が、山頭火と過ごした日々を振り返っています。

(企画展で展示予定)

層雲(表紙)層雲

種田山頭火  年譜(年齢は数え年)

明治15年(1882) 1歳 12月3日、山口県佐波郡西佐波令村(現・防府市八王子二丁目)の種田家に、父・竹治郎、母・フサの長男として誕生。「正一」と命名。
明治25年(1892) 11歳 母・フサ(32歳)が自死。
明治35年(1902) 21歳 早稲田大学大学部文学科に入学。
明治37年(1904) 23歳 神経衰弱のため早稲田大学を退学し、帰郷。
明治39年(1906) 25歳 山口県吉敷郡大道村の酒造場を買収。
明治42年(1909) 28歳 山口県佐波郡和田村の佐藤家の長女・サキノと結婚。
明治43年(1910) 29歳 長男・建が誕生。
明治44年(1911) 30歳 郷土文芸誌『青年』、弥生吟社(後の椋鳥会)に参加。定型俳句の俳号「田螺公(でんらこう)」。
大正2年(1913) 32歳 自由律俳誌『層雲』に出句。個人雑誌『郷土』創刊。椋鳥会五句集(回覧雑誌)『梅』(2月号)にて俳号「山頭火」を宣言。
大正5年(1916) 35歳 『層雲』の俳句選者となる。酒造業破産。句友を頼り妻子と共に熊本に移住。古書店(後に額絵額縁店)「雅楽多(がらくた)」を開業。
大正7年(1918) 37歳 弟・二郎自死。
大正8年(1919) 38歳 祖母・ツル死去。単身上京。額縁行商。
大正9年(1920) 39歳 妻・サキノと戸籍上の離婚。一ツ橋図書館臨時職員。
大正10年(1921) 40歳 父・竹治郎死去。東京市役所事務員。
大正11年(1922) 41歳 神経衰弱のため東京市役所を退職。額縁行商。
大正12年(1923) 42歳 関東大震災に遭遇。熊本のサキノのもとへ戻る。
大正13年(1924) 43歳 泥酔して市電を止める。曹洞宗報恩寺で禅門に入る。
大正14年(1925) 44歳 出家得度し「耕畝(こうほ)」と改名。熊本県植木町の味取観音堂の堂守となる。
大正15年(1926) 45歳 4月10日、一笠一杖の行乞流転の旅に出る。防府にて改名届。
昭和2年(1927) 46歳 山陰・山陽・四国・九州地方の旅。
昭和5年(1930) 49歳 熊本市内の「三八九居(さんぱくきょ)」で自炊生活。
昭和6年(1931) 50歳 ガリ版刷個人誌『三八九(さんぱく)』(一~三集)編集発行。自筆ノート『行乞記』を書き始める。
昭和7年(1932) 51歳 山口県川棚温泉で結庵を望むが挫折。第一句集『鉢の子』刊行。山口県小郡町矢足に「其中庵(ごちゅうあん)」を結庵。『三八九』(四集)発行。自筆ノート『其中日記』を書き始める。
昭和8年(1933) 52歳 第二句集『草木塔(そうもくとう)』刊行。『三八九』(五~六集)発行。
昭和9年(1934) 53歳 信州を目指し、広島・神戸・京都・名古屋へ東上の旅。途中、飯田で倒れ帰庵。
昭和10年(1935) 54歳 第三句集『山行水行(さんこうすいこう)』刊行。自殺未遂。死に場所を求めて再び東上の旅に出る。
昭和11年(1936) 55歳 第四句集『雑草風景(ざっそうふうけい)』刊行。自筆ノート『旅日記』を書き始める。近畿・関東・甲州・信州・北陸への旅。永平寺参籠。『層雲』中央大会へ出席。
昭和12年(1937) 56歳 第五句集『柿の葉(かきのは)』刊行。九州への旅。
昭和13年(1938) 57歳 山口県山口市湯田温泉に「風来居(ふうらいきょ)」結庵。中原中也の弟・呉郎らと交流。大分への旅。
昭和14年(1939) 58歳 第六句集『孤寒(こかん)』刊行。近畿・東海・木曽への旅。四国に渡り、愛媛県松山市で「一草庵(いっそうあん)」結庵。
昭和15年(1940) 59歳 第七句集『鴉(からす)』刊行。一代句集『草木塔』刊行。自筆ノート『松山日記』を書き始める。中国・四国・九州への旅。10月11日未明、「一草庵」にて死去。

山頭火写真

(小林銀汀撮影)

デジタル展示(常設展示)

七句集と日記(一部)については、デジタル展示でご覧いただくことが出来ます。

アクセス

防府天満宮、まちの駅「うめてらす」から西に約100メートル。(徒歩約3分)
防府駅から約1キロメートル。(徒歩約15分)