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防府と毛利重就

毛利重就像(防府天満宮)
毛利重就像(防府天満宮)
 

 萩藩の歴代藩主の中で、最も防府と結びつきが大きいのが、7代藩主の毛利重就[もうりしげたか]でしょう。
 毛利重就が藩主になったときには、萩藩の財政が苦しくなっていました。そこで、税の取れる土地を増やすために土地の調査(宝暦検地[ほうれきけんち])を行い、増えた税収入で撫育方[ぶいくかた]という基金をつくりました。この撫育方は非常時のたくわえにした以外に、農地や塩田の開発費用として使われました。  重就は、藩の収入を増やすために防府の開発に力を入れ、干拓(開作[かいさく])によって土地を広げると、新しく田を作ったり、塩田を築いたりするなど、産業が発展していきました。鶴浜[つるはま]や大浜[おおはま]、西浦浜[にしのうらはま]などの開作にも撫育方の資金が使われています。他にも、塩の積み出し港として中関を発展させるなど、多くの功績を残しました。

 重就は藩主を息子の治親[はるちか]にゆずって後、家族とともに「三田尻御殿[みたじりごてん]」と呼ばれた三田尻御茶屋に移り住み、亡くなるまでの8年間を防府で過ごしています。ちなみに、桑山塔ノ尾[くわのやまとうのお]古墳を見つけたのもこの重就です。
 なお、この時の右田毛利氏当主・毛利広定[もうりひろさだ]は重就の兄にあたり、相談役として、重就を助けていました。

近世の産業

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