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大道の歴史

更新日:2021年2月8日更新 印刷ページ表示

沿革

ふるさと大道を掘り起こす会の資料より

仲哀天皇(凡190)下津令に守護神勧請・現繁枝神社
応神天皇(凡280)天皇宇佐から大和へ行幸のとき堂山に仮宮を造る
文武天皇(698)周防の国から銅鉱を献じた(続日本書紀)
天平2年(730)逵理山の銅鉱を長門の鋳銭司にあてた
天平9年(737)周防鋳銭司にて和同開珎を鋳た
延暦11年(792)旦浦に兵団が置かれた
建久2年(1191)関白藤原兼実の日記「小俣」の地名出る(玉栞)
建武2年(1335)玉祖神社社領に「小俣庄」の名あり
建徳2年(1371)今川貞世の「道ゆきぶり」に「岩淵」の名あり
応永9年(1402)大海村長徳寺住職への書に「下津令」出る
正長元年(1428)大内盛見下津令の地を国清寺へ寄進(年貢寄進文書)
文禄元年(1592)秀吉下向の際仮屋を建てた
慶長5年(1600)検見帳、小俣村・下津令
慶長15年(1610)検見帳、小俣村・下津令、切畑村
寛永2年(1625)検見帳、小俣村・下津令切畑村
元禄12年(1699)坪付帳、小俣村切畑村
寛保2年(1742)地下上申、小俣村切畑村
天保13年(1842)風土注進案、台道村、切畑村
明治6年(1873)部制廃止、両村共、11大区1小区になる
明治9年(1876)切畑、佐波郡より吉敷郡に移転す
明治12年(1879)郡区町村編成法、台道村、切畑村
明治22年(1889)市制及び町村制実施、大道村
昭和30年(1955)防府市に合併、大字台道・切畑になる

地名、集落等

 

切畑村

続日本書紀「天平2年3月吉敷郡逵理山所出の銅、、、、」逵理山麓に開けた畑
防長地下上申、防長風土注進案「山野を切り開きたる畑故切畑」人口509、集落5

小俣村のち台道村

地下上申「秀吉公名護屋下向のとき台地を通る道を台(うてな)の道と称し」
風土注進案「古道を改めて大道を開きたまひしによれり、のち台の字に、、、、」
人口2,619集落7

大道村(切畑村・台道村合併明治22(1889)年

大道村大字切畑、大道村大字台道2地域
人口4,500

防府市大字切畑、防府市大字台道昭和30年(1955)防府市に合併

2地域を併せて『大道』と呼称している
人口5,800

令和3年1月末日現在
面積24.96平方キロ自治会25世帯数2442人口4837