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防府天満宮

更新日:2021年2月1日更新 印刷ページ表示

防府天満宮

所在地

山口県防府市松崎町14-1

防府天満宮

1.御本殿

2. 斎館(客殿)

3.紅梅殿

4.歴史観(宝物殿)

5.春風楼

6.観音堂

7.太鼓堂

8.御神輿庫

9.参集殿

10.駐車場

11.天神山公園

12.大専坊跡

13.茶室芳松庵

14.毛利元就像

15.放生池

16.扶桑菅廟最初碑

菅公廟
昌泰4(901)年正月、太宰権帥に左遷された菅公は、あわただしく西下された。その途次、周防勝間が浦に立ち寄られたことから、防府天満宮の歴史が始まる。
菅公は、延喜3(903)年2月25日なくなる。社伝は当時を次のように伝えている。
「身は筑紫に果つるとも、魂魄は必ずこの地に帰り来たらん」と、勝間の浦に神光が現れ、酒垂山に瑞雲がたなびいた。時の国司たちこれを拝見し館に公の霊を祀り翌年8月松崎の地に宝殿を建立した。扶桑菅廟最初という。

松崎大神縁起

松崎大神縁起

約300年後の建久6(1195)年、国司俊乗坊重源によって平安風の社殿に改修されるが、たびたびの火災にあう。再建は大内・毛利氏の援助によって行われた。
現代の銅板葺入母造りの本殿・重層楼門・回廊等は、氏子や崇敬者の浄財で昭和37(1962)年に完成した。

扶桑菅廟最初碑

扶桑菅廟最初碑

重層楼門

重層楼門

御社殿

御社殿

表参道
むかしの山陽道に面して建つ高さ6m近い大鳥居は、寛永6(1629)年、萩藩初代藩主毛利秀就の寄進で、年代の明らかな石の鳥居では県下最古といわれる。
長い石畳の参道の両側には大きな灯籠が並び、明治初期まで東西に九つの社坊があり、一山の総号を酒垂山満福寺と称した。
以前は、松崎の名にふさわしく老松が参道を覆っていたが、今日は楠木を残すだけである。

大鳥居

大鳥居

参道二つの狛犬
青銅の中鳥居のあたりに、二対の大きな狛犬(こまいぬ)が神域を守護している。
下段の豪華な台座に座している華麗なのは、萩狛犬といわれる萩で造られた狛犬で、宮市や三田尻の人が寄進したものである。

上段のいかつい面をした、たくましい姿の狛犬は、大阪の石屋中村屋で造られた浪速狛犬といわれるもので、宝暦9(1759)年寄進の刻字がある。市内最古、参道狛犬では古い部類である。

青銅鳥居と狛犬

青銅鳥居と狛犬

萩狛犬

萩狛犬

萩狛犬

萩狛犬

浪速狛犬

浪速狛犬

浪速狛犬

浪速狛犬

大専坊
表参道西側の最奥にある。
大専坊は満福寺の別当(長)で、神社創建とともに設けられたと云われる。室町時代10代足利義稙(よしたね)の宿舎となり、毛利元就(もとなり)は弘治3(1557)年大内氏追放の戦いに此処を本陣にし、下って、幕末には遊撃隊の屯所ともなった。(県指定史跡)
現代は建物の建造年は不詳だが相当古く、建物に桐・菊大内菱の紋が見える。

大専坊

大専坊

芳松庵

芳松庵

大専坊にむかい合って円楽坊があった。
九坊のうち大専・円楽の二坊だけが瓦葺きだったと言われる。菅公は茶道に詳しく、茶聖菅公と称せられたという。菅公と茶道の関わりを後世に伝えようと、平成3(1991)年、神忌1100年を記念して、茶室芳松庵が建てられた。設計監督は全国的に名高い大江宏である。

暁天楼は、元前小路の旅籠藤村屋の離れで、二階で維新前に高杉晋作、木戸孝允、坂本龍馬、伊藤博文、山県有朋等の尊王討幕の志士が密会し、討議をこらした所といわれる。後に天満宮境内に移築保存されていたが、朽損甚だしく解体され、新しくここに復元された。
階下には志士の写真等が掲げてある。

暁天楼

暁天楼

春風楼

萩藩10代目藩主毛利斉熙(なりひろ)は社頭に五重の塔の建立を思い立ち、文政5(1822)年、地鎮供養の祈祷を行ったが、諸事情で中止になった。明治の初め、五重の塔の建築を断念し、楼閣様式のお篭り堂に変更して春風楼が完成した。

床下木組み

床下木組み

春風楼

春風楼

歴史館(宝物館)
歴史館は昭和51(1976)年竣工した。
国指定重要文化財紙本著色松崎天神縁起、同じく源義経・大内盛見の奉納と伝えられる大鎧等、国指定重要文化財10点、県指定文化財4点、市指定文化財3点等、400点もの宝物が収められている。

歴史館

歴史館

金銅宝塔

金銅宝塔

松藤蒔絵文台・硯箱

松藤蒔絵文台・硯箱

紫韋威鎧

紫韋威鎧

浅黄糸威褄取鎧 兜付

浅黄糸威褄取鎧兜付

天神本地観音堂
本尊は十一面観音菩薩。
道真公の母はこの本地観音を信仰され、からだの弱かった道真公の成長をこれに祈られたという。堂は俊乗坊重源の創建と云われる。大内弘世の世に周防国三十三番観音巡礼二十四番札所となる。
社坊酒垂山満福寺抱えだったが、明治の初めに神仏分離で社坊が廃され、天満宮西隣の霊台寺(現満福寺)の抱えとなった。

観音堂

観音堂

神牛と天神様

仰ぎ見る朱塗りの楼門正面の社号の額は、徳富蘇峰翁95歳の絶筆である。
楼門を挟んで神牛と神馬が置かれている。

天神様は学問の神といわれるが、農の神でもあった。また、菅公が丑年、丑の日に生まれたという伝承から、牛は大切にされ、御神幸祭の御網代輿を引く。
牛像を擦ると体の痛みが取れると言われ、人々から愛されている。

神牛像

神牛像

天神水と放生池
手水舎の後ろの小さな池に、酒垂山から引かれた水がこんこんと絶えることなく注いでいる。天神水という。手水鉢は、元禄16(1703)年宍道玄蕃(しじげんば)の寄進で大阪で造られたもので、境内の石造物では古い部類に入る。
放生池(ほうしょういけ)は生き物を憐れむ池で、池畔に「古池や蛙飛び込む水の音」の芭蕉の句碑がある。文政3(1820)年三田尻(浜方)の俳人、有時庵此由(ゆうじあんしゆう)が建てたもので、境内ではいちばん古い句碑である。

芭蕉の句碑

芭蕉の句碑

天神水鉢

天神水鉢

放水池

放水池

神殿前の青銅狛犬
萩藩7代藩主毛利重就(しげたか)は、寛政元(1789)年焼失した社殿すべてを造営した。拝殿両脇の青銅狛犬は、造営工事を司った国司就相(くにつかさもとすけ)等が完成を記念して寄進したもので、制作者は桑山の大楽寺の鐘と同じ、郡司信則、信之父子(市内鋳物師[いもじ]の出)である。
昭和27年の火災のとき被害を受け、大阪で修復している。

青銅の狛犬

青銅の狛犬

青銅の狛犬

青銅の狛犬

毛利重就(しげたか)公像と野村望東尼の碑
客殿背後の園に7代藩主毛利重就(英雲)の銅像がある。重就はこよなく防府を愛し、三田尻御(御茶屋)に隠棲し此処でなくなった。寛政の天満宮社殿の造営、周防国分寺金堂の改修、浜の塩田開発と大きな足跡をのこしている。

 

望東尼の歌碑

望東尼の歌碑

毛利重就の像

毛利重就の像

 
佐加多利公園と鐘秀台
重就(しげたか)公像前の梅の小径をたどると佐加多利(酒垂)公園に出る。
春は梅と桜、秋は紅葉で美しい。鐘秀台の展望所からは、南に防府平野、佐波川下流の展望が開け、北には天神山(高さ167m)の頂上がせまる。
佐加多利公園には国学の近藤芳樹(台道の人)・俳人の木鐘庵横沼素兄(今市の人)・田中年守(三田尻の人)等、多くの碑が建っている。
小径はさらに山麓を伸びて佐波川沿いの白坂公園に出る。

佐加多利公園から鐘秀台を望む

佐加多利公園から鐘秀台を望む

 

天神山公園
客殿背後から天神山山麓の小道をたどると、国分寺の甍・国府の旧跡地・その向こうに三田尻湾がかすむ。山麓のつつじ・桜、眼下の梅林。小道をたどると桃玄洞・柳星甫・山頭火らの句碑がある。

酒垂神社前の広場は桜の名所。坂を登って鳥越の峠を越えると、佐波川河畔に出る。

天神山公園の桜

天神山公園の桜

梅

つつじ

つつじ

御神幸祭
寛弘元(1004)年10月15日、勅使を迎えて祭を行う。これが御神幸祭の始まりといわれ、ずっと陰暦の10月15日に行われてきた。(現在は11月の第4土曜日)
以前は近郷はもちろん島根・広島・北九州・四国等からの参拝客で賑わい、奉仕する裸坊は万を超えていたといわれる。御神輿と御網代輿は満月の光をあびて本殿を出て、勝間が浦の菅公繁船の旧跡に至り、還幸は深更になったという。殿様も国分寺前の桟敷で拝観された。

裸坊

裸坊

奉納御神輿を担いだ裸坊

奉納御神輿を担いだ裸坊

石段を下りた御網代輿

石段を下りた御網代輿

花神子
花神子社参式は、秋の御神幸祭を司る大小行司役が、その年の米で造った神酒を花神子(少女)によって供えて、御神幸祭の無事を祈る神事である。随員500人を共に、道程2Kmを進む社参行列は王朝絵巻を展開する。
 昔は旧暦9月25日に行われた。(現在は10月の第2日曜日)

花神子

花神子

花神子社参行列

花神子社参行列花神子社参行列花神子社参行列花神子社参行列

牛替神事と節分祭
早春節分の風物詩。
秋の大祭の神輿を曳く神牛役を定める神事である
夕暮れ迫る社殿の中庭で、児童によって神籤上げが行われる。その外奉賛者寄贈賞品の福籤もあって、境内は参詣者でふくれる。昼は春風楼前で、年男による豆まきでにぎわう。明ければ立春である。

神牛

神牛

春風楼からの豆まき

春風楼からの豆まき

初詣
元旦の午前0時、初太鼓が朗々と社頭に鳴り渡ると楼門の大扉が開かれる。正月三ケ日の参拝客は40万人超えるという。学業成就・家内安全・交通安全・無病息災を祈って、京阪神、北九州方面からも訪れる。

初詣で賑わう天満宮
初詣初詣初詣
西参道
文化の頃に整備された参道で、鳥居をはじめ両側に灯籠・狛犬等が建っている。石州街道や萩街道からの参拝者の道で、迫戸川にかかる太鼓橋を渡って、107段の石段を上る。太鼓橋は昭和30年頃に道の拡張で壊された。

西参道

西参道