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向島探訪

更新日:2021年2月4日更新 印刷ページ表示

向島探訪

海と山の自然の恵みにあふれた向島。その歴史とみどころをご紹介します。

地名の由来

遠い遠い神代のこと、伝説『姫島婿島物語』によれば、かつては華浦地区にある鞠生の松原の沖に浮かぶこの島は、大分県国東半島の沖合いに浮かぶ「姫島」に対して、「婿島」と呼ばれていました。

また、1389年に著された『郡書類従(ぐんしょるいじゅう)』の日記の中に「向島」の記述が見られ、幕末に著された『風土注進案(ふうどちゅうしんあん)』によれば、「国府の向うにある島」という意味から風間島(かざまじま)、笠間島(かさまじま)とか蓬莱島(ほうらいじま)とも言われていたそうです。

向島の変遷

向島は古くから漁業・農業を中心とした第一次産業が主体でした。明治から昭和にかけては、主として農業・漁業のほか、塩田関係の運送業をはじめとする船舶海運業にも従事していました。第一次世界大戦後、化学工業の急速な発展とともに、工業用塩の需要が増加し、供給に不足を生じることとなり、新たに向島に「製塩再生工場」が建設され、島の経済にも大きく貢献しましたが、生産過剰と安い外国塩の輸入のため採算がとれず廃止され、現在は向島運動公園になっています。

みどころ

 

みどころ
島の信仰 島の風景 島の名所
厳島神社 錦橋 向島小学校の寒桜
立岩稲荷 錦山 向島運動公園
山上様    
人麿神社(人麿様)  
海賊の墓    
龍ヶ口    
櫛ヶ峯観音    

錦橋

錦橋

島の玄関口「錦橋」です。錦橋は昭和25年に架橋され、それまでの交通手段であった渡し船は廃止されました。渡し船のことを「やくせん」と呼んでおり、製塩業が盛んになるに従い、向島からは魚の行商や日用品の購入のため、本土からは芝居小屋(稲荷座)での芝居見物のため、人々が往来し交流が盛んになり、渡し船も本格的となりました。渡し船は東(問屋口~郷ヶ崎)と西(浜方~本村)の二ヶ所ありました。

旋回する錦橋

昭和44年に改修された現在の錦橋は、長さ46.7メートル、幅6.5メートルの鋼製の可動橋で、橋げたより高い船が到着すると90度旋回させ、船を通過させます。その間は通行止めとなり、車が数珠つなぎになります。

 厳島神社

厳島神社の鳥居

広島県の宮島にある厳島神社は、ここ向島に建てられるはずでしたが、その条件は、この地に「七浦」があることで、残念ながら向島には「六浦」しかなかったので宮島に神社が建てられたという言い伝えがあります。後にこのことを惜しんで、今の厳島神社が建てられたということです。毎年旧暦の六月十七日に十七夜祭が行われます。

松富のかまぼこ店の前の通り

厳島神社の表参道にはかつて稲荷座という芝居小屋がありました。

錦山

錦橋から見る錦山

錦山から見た防府平野

島の中央にそびえる錦山は標高354メートルあり、瀬戸内海や防府平野を一望できます。左は錦橋から見た錦山、右は錦山から見た防府平野です。

立岩稲荷

正一位立岩稲荷大神

向島の南、赤崎に立岩稲荷があります。私たちの食べて生きるための五穀をはじめとする、すべての食物・養蚕のことを司られる神として信仰され、地元では「立岩様」と呼ばれ親しまれています。御鎮座されたゆかりの日として、毎年二月初午の日に初午祭が行われ、市内だけでなく市外からも多くの参拝客が訪れます。平成23年には、御鎮座から1300年ということでおかげ石が建立されました。

 鳥居

立岩稲荷の社のそばを通り抜けると真っ赤な鳥居が幾重にも重なり合って立っています。

一光大神

その先には一光大神があります。この社の前を左に折れ、急な坂道を下っていくと立岩幸之進大神の大鳥居の前に着きます。

大鳥居

 立岩稲荷の本殿はかつてはここにありましたが、台風などで流されました。大鳥居は陸に近いところに移動されました。

立岩幸之進大神の祠

立岩幸之進大神が祭ってある祠(ほこら)は、岩と岩の透き間を利用しています。

野島

天気のよい日には野島も見えます。

山上(さんじょう)様

雲・霧・風・噴火・岩石・木などの自然現象を神秘的なものとして敬う山嶽信仰は全国にありますが、中村地区の山の麓、森に囲まれたところに岩と一体となっている社があります。岩を拝むとともに、山の頂上の神様を同時に朝夕拝んでいた合同拝殿で、昔の人の信仰のなごりです。

向島小学校の寒桜

満開の寒桜

向島小学校の正面玄関南に生育し、蕾紅紫色、開くと淡紅紫色で後にやや濃くなり、3月初旬から中旬に開花します。品種はカンザクラとみられます。カンザクラはヤマザクラとカンヒザクラの種間雑種である園芸種で、開花時期が早いのが特徴です。平成13年8月23日に防府市の、平成23年4月8日に山口県の天然記念物に指定されました。この木に関する詳細な記録はなく、沿革は不明ですが、約90年前の当時の卒業生が植樹したと言われています。

人麿神社(人麿様)

人麿神社の鳥居

人麿神社の社

むかしから人々は、「人麿」に神の力があると信じて、疫病や災難海上風波の難など、多くの災難がおこらないよう神にお願いしました。こうした願いをこめて建立されたのが人麿神社です。本村地区では、毎年旧暦の八月一日に祭事を行っており、かつては人形浄瑠璃も上演されていました。

海賊の墓

海賊の墓

本村地区、西福寺東側約五十メートル上の雑木林の中に三基の墓があります。「慶長の初め、今から約四百年前、海賊がたびたび向島に来襲して、島を荒らし島民を困らせていた。島に住んでいた御園生義信という武士が、海賊を誘い、酒を飲ませ、入浴させて殺害し埋葬した。その後疫病が流行したので、賊のたたりと恐れ、付近にたぶの木を植えて、埋葬箇所にほこらを建て、若宮と称して祭り、賊の霊を慰めた。」といわれており、海賊の墓として、現在も本村地区では、毎年旧暦の一月二十日に山神祭を行っています。

龍ヶ口

龍の形をした岩

本村地区に竜が口を開けているように見える「龍ヶ口」と呼ばれる岩があります。長さ1.9メートル、幅1.5メートル、高さ1.3メートルの花こう岩でできたもので、波の浸食でできた形といわれています。口に当たる部分に子どもを通すと病が治るとの言い伝えがあります。本村地区では、毎年旧暦の三月十日に祭事を行っています。現在、この岩のある所は「辰ヶ口」と呼ばれています。

向島運動公園

向島製塩工場跡地を整備してできたもので、昭和62年に一部(多目的広場)を供用開始、平成16年に完成しました。公園には「市民の森」、「テニスコート」、「多目的レクレーション広場」、「ローラースケート場」等があり、公園の外周には園路も整備されています。満開の桜は大変みごたえがあり、毎年多くの花見を楽しむ家族連れなどで賑わいます。

なお、「テニスコート」、「多目的レクレーション広場」を利用する際には使用料がかかります。利用に関してはこちら。(リンク先ページは別のウィンドウで開きます)

櫛ヶ峯観音

櫛ヶ峰観音

「天明三年(1783年)小田の人、仁左衛門という人が沖合の海で漁をしていたとき、観世音尊像が網にかかり、その尊像を安養寺において供養した。一ヶ月に及ぶ供養の夜、夢の中で小田浦に安置して供養すれば、みんなの者に家業安泰、福徳長寿の幸せをもたらすであろうとのお告げに、おおいに感激した。そこで、有志のかたから寄付をいただき、観音堂を小田浦櫛ヶ峰に建立し、観世音尊像を安置した」のが櫛ヶ峰観音の由来です。小田地区では毎年8月24日に夏供養祭が行われます。

(参考文献:「残しておきたいふるさとのこと」ふるさと向島の会著)