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野島盆口説き・茜島音頭

更新日:2018年6月1日更新 印刷ページ表示

野島の盆踊り・盆口説きを体験するには

野島では、毎年8月14日、15日の夜に盆踊りが行われています。過去には盆踊りの開催に合わせて、野島小・中学校にて機関車先生の上映会などもありました。

盆踊りを体験したい方は、野島発の最終便が16時30分ですから宿泊は必須です。島内の宿泊施設または無料のキャンプ場(但しテント等は各自でご用意ください)をご利用ください。

野島盆踊り保存会

---野島盆踊り保存会が編集、発行した『盆踊り・茜島音頭』の序文から抜粋---

 盆踊りを愛する心

盆踊りも、我々が子どもの頃は、夜を徹し、東の空に太陽が昇るまで、踊り興じたものでした。「盆が来たらこそ、まんじゅう喰うて踊ろ」という一口音頭の示す通り、老若男女を問わず、三歳の小児にいたるまで、入り替わり立ち代わり、麦まんじゅうを食べ、また一杯ひっかけながら踊り、口説き、太鼓を打ち鳴らし、皆の心が、手が、足が、哀調をおびたその名調子にとけ込んで、えもいわれぬ美しい雰囲気をかもし出したものです。その踊り場の雰囲気が、時には「若いカップル」「恋愛の糸口」の恰好の場所ともなったのであります。

 盆踊り保存会の発足

戦後の経済成長は目覚ましく、我が島も数々の恩恵に浴しているところです。特に電気の導入により、生活面は大変便利になった反面、島の過疎化が急激に進んできたのです。そのような中、島のよき伝統をもう一度昔の姿に返したい、との願いから、まず手始めに盆踊りからと、昭和57年「盆踊り保存会」が、島の有志の発起により発足いたしました。

  

茜島音頭

茜島音頭の楽譜です

茜島音頭の振り付けです 

 

盆口説き

盆口説きの歌詞が残る古文書と、昔の盆踊り風景

島の古老の話を聞いたところによると、口説きの文句は、兵庫口説きから取り入れた、ということである。野島の盆踊りの始まりが、天正年間(1573年~)、「本願寺十一代顕如上人」の時、織田信長との戦い「石山戦争」があり、この戦いに島の人々も参加し本願寺に加勢した。その戦いが終わって島に帰るとき海が荒れて島に帰れない。この時顕如上人が「南無阿弥陀仏」の六字の名号を書き、船より海中へその「お札」を投ずると、不思議にも風は静まり無事帰島することができた。この喜びを踊り歌ったのが今の盆踊りとされているという。

明治時代の前半頃には、この小さい島で、東・中・西と三か所に分かれて盆踊りが行われていたといいます。そしてその三か所の何れか菖蒲か杜若(かきつばた)か、甲乙がつけがたいほど盛大だったとも。当時は盆口説きが上手なことも異性にもてる一つの要件だったといいます。